疑わしきは被告人の利益に
「疑わしきは被告人の利益に」、「100人の罪人を逃がすとも1人の無辜を罰してはならない」というのは近代以降の刑事裁判の鉄則とされています。これが鉄則とされる理由の一つは、市民の素朴な正義感との間に「ずれ」があるからだと思います。罪人許すまじ、逃すまじという素朴な市民感情は、ややもすると「冤罪はないに越したことはないが、100人の悪党をみすみす見逃すのは困る」、「捜査官のミスを絶対に許さないとしたら十分な捜査を遂げられない」という方向に流れます。だからこそ、近代司法はそれに歯止めをかけるのです。
昨年12月16日、仙台高裁は、令和6年9月に猪苗代湖で起きたプレジャーボートによる業務上過失致死傷の事件において、1審の実刑判決を覆し、無罪の言渡しをしました。この事件は小学生1名が死亡、その母親と、一緒に遊びに来ていた別の家族の小学生が傷害を負うという悲惨な事故だったため、無罪判決に対して一部の人から強い非難が寄せられました。
この無罪判決の全文は、最高裁のホームページで「下級裁判所裁判例速報」に掲載されています。それによれば、衝突地点について十数メートルから数十メートルの誤差がありうること、プレジャーボートの確実な航路を特定できないこと、視認状況についても被害者をたやすく発見できたとは言えないことなどを踏まえたうえで、結果の予見可能性はあったけれど、回避することができなかった具体的な可能性を否定できないとされています。
視認状況については交通事故でもよく争われますが、たやすく視認性ありと認定されてしまう傾向があります。この点本件高裁判決は、視認状況について具体的かつ現実的に考察しています。例えば、「操船者に対して、遠いところで動かない物体のある地点を凝視することを求めることは困難であって、本件事故時は、猪苗代湖上には、水上バイクやトーイングボート等が存在し、A船の近傍には注視を要する現に動いている物体が複数あったのであるからなおさらである。」などの指摘がそれです。(もっともこの点は、道路だけを見ていれば良い自動車交通と、360度見張りをしなければならない海上(湖上)航行との違いもあるでしょう)。
判決はまた、人が任意に遊泳したり、水中に滞留したりしていることは想定し難い場所に、救助を求めるといった動作も、ザップボードへの搭乗待機前に所在していた人の存在を予想させ得る水上バイクやザップボード等が周囲に存在することもないままに滞留していることを想定することは相当に困難が伴うことを勘案しなければならないと指摘しています。
それらを踏まえて「被告人に過失を認めるには合理的な疑いが残るので、本件公訴事実については犯罪の証明がない」として無罪を言渡した本件高裁判決は「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則に忠実な判決だというべきでしょう。
被害が大きな事件では、その被害を発生させた者を許すまじと世論が巻き起こるのも当然でしょう。ただ、そのような場合であればこそ、刑事裁判は鉄則を忘れてはならないのだと思います。私は、丁寧かつ具体的な検討をしたうえで、世論の厳しい反発も覚悟の上で、差戻でもなく、無罪の自判をした仙台高裁の裁判官に敬意を表したいと思います。
(櫻井光政)
« 明けましておめでとうございます | トップページ | 1月の神山ゼミ »
「弁護士コラム」カテゴリの記事
- 疑わしきは被告人の利益に(2025.01.06)
- 情報流通プラットフォーム対処法(旧プロバイダ責任制限法)による投稿削除の対応の明確化・透明化について(2024.12.09)
- スタッフ弁護士になる10の理由(その1)(2018.06.14)
- 弁護士に依頼するともっとモメる?(2018.05.01)
- 桜丘釣り同好会(2017.05.19)
コメント