固定残業代の有効性が否定された例
1.固定残業代とは、残業代(割増賃金)を予め基本給に組み込んだり、定額の手当として残業代を支払ったりする仕組みをいいます。
固定残業代が有効であるためには、
「通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要…(最高裁平成3年(オ)第63号同6年6月13日第二小法廷判決・裁判集民事172号673頁,最高裁平成21年(受)第1186号同24年3月8日第一小法廷判決・裁判集民事240号121頁,最高裁平成27年(受)第1998号同29年2月28日第三小法廷判決・裁判所時報1671号5頁参照)」
とされています。
また、固定残業代を導入したとしても、使用者は、
「割増賃金に当たる部分の金額が労働基準法37条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回るときは,・・・その差額を労働者に支払う義務」を負います(以上、最二小判平29.7.7労判1168-49等参照)。
2.使用者には「労働時間を適切に管理する責務」があります(平成13.4.6基発第399号「労働時間の適正な把握のため使用者が講ずべき措置に関する基準」参照)。この義務は固定残業代を導入したところで免れることはできません。そのことは、上記基準が、
① 「本基準の対象事業場は、労働基準法のうち労働時間に係る規定の全部又は一部が適用される全ての事業場とする」と明記していること
② 「時間外労働手当の定額払等労働時間に係る事業場の措置が、労働者の労働時間の適正な申告を阻害する要因となっていないかについて確認」を求めていること
からも明らかです。
このことは、固定残業代を導入することが、企業側から見て経済合理性がないことを意味します。
個々の労働時間を把握する責務から解放されるわけではありませんし、定額残業代を上回る時間外勤務手当が発生していないかを確認するため法所定の方式に従って時間外勤務手当を計算する作業を免れるわけでもないからです。
そして、実際の時間外勤務手当が定額残業代を下回っている場合には本来払わないで良い残業代を支払うことになりますし、実際の時間外勤務手当が定額残業代を上回っている場合にはその差額を労働者に支払わなければなりません。
法の趣旨をきちんと順守すれば、理論上、定額残業代を導入した場合の企業の人件費総額は、導入以前よりも常に高くなることになります。
3.ところが、現実には、固定残業代を導入している・導入したがっている企業は相当数に及びます。
このことは法の趣旨を曲解した適法性に疑義のある運用がなされている例が蔓延しているからではないかと思います。実際、固定残業代の適否を巡る紛争は頻発していて、しばしば判例集にも掲載されています。
近時、判例集に掲載された東京高裁平30.10.4労判1190-5イクヌーザ事件もその一つです。
この事案では、月80時間分の固定残業代を基本給に組み込んでいたことの有効性が問題になりました。この事案では基本給23万円のうち、8万8000円が月間80時間の時間外勤務に対する割増賃金とする旨が記載された雇用契約書が取り交わされていました。
裁判所は、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の労災認定基準に言及したうえ、
「1か月当たり80時間程度の時間外労働が継続することは,脳血管疾患及び虚血性心疾患等の疾病を労働者に発症させる恐れがあるものというべきであり,このような長時間の時間外労働を恒常的に労働者に行わせることを予定して,基本給のうちの一定額をその対価として定めることは,労働者の健康を損なう危険のあるものであって,大きな問題があるといわざるを得ない。そうすると,実際には,長時間の時間外労働を恒常的に労働者に行わせることを予定していたわけではないことを示す特段の事情が認められる場合はさておき,通常は,基本給のうちの一定額を月間80時間分相当の時間外労働に対する割増賃金とすることは,公序良俗に違反するものとして無効とすることが相当である。」
との規範を示し、
「本件固定残業代の定めは,労働者の健康を損なう危険のあるものであり,公序良俗に違反するものとして無効とすることが相当」
であると判示しました。
その後、裁判所は基本給の全部を時間外、深夜割増賃金算定の基礎となる賃金額としたうえで時間外勤務手当の額を計算し、使用者側に200万円を超える時間外・深夜割増賃金額と100万円を超える付加金の支払いを命じる判決を言い渡しました。
4.最初に述べたとおり、法の趣旨に従って運用する限り、固定残業代は本来経済合理性に乏しい仕組みです。求人広告で基本給を高く見せかけるだとか、過大な時間数を設定して定額働かせ放題の仕組みとして運用するだとか、法が想定していないような趣旨で導入されている例は、相当数眠っているのではないかと思います。
固定残業代の名のもとに不当な扱いを受けているのではないかとお感じの方がおられましたら、ぜひ、一度ご相談においでください。その疑問には十分な理由がある可能性があります。
(弁護士 師子角 允彬)
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