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2018年5月 3日 (木)

憲法記念日に思うこと-憲法の理念に欠ける道徳教科

 与党のスキャンダルが続き,少し下火になってきたものの,今だに憲法を改正すべきだという声がくすぶっている。確かに字句的な修正を施す余地が一寸たりともないかというとそういうわけでもなかろうと思う。けれども今のところ,多少の不自由は解釈によって補えていると思うし,これからもしばらくの間,使い続けて行くことができる憲法だと思っている。そもそも多数の国会議員,吏員,そして国民の多くが,今なお現憲法の理念,その水準に追いついていないように感じる。加えて昨今の憲法をないがしろにする風潮の下では,今改正しようとしてもろくなものができないと考えるからだ。

 最近,憲法がないがしろにされていると強く感じたのは,今度教科化される小中学校の「道徳」の内容をだ。

 道徳の内容として掲げられているのは,

1 主として自分自身に関すること

2 主として他人とのかかわりに関すること

3 主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること

4 主として集団や社会とのかかわりに関すること

 の4つで,その中で教える具体的な内容が小学校1・2年,3・4年,5・6年と中学校と進むにつれて変わって行くのだが,この中には「人権」という思想が全く含まれていないのだ。

 例えば主として自分自身に関することについて,中学で教える内容は,

(1)基本的な生活習慣・調和のある生活

(2)希望・勇気・強い意志

(3)自主自律・誠実・責任

(4)真理愛・理想の実現

(5)向上心・個性の伸長


 主として他人とのかかわりに関することで教える内容は


(1)礼儀

(2)人間愛・思いやり

(3)信頼友情

(4)異性の理解

(5)寛容・謙虚

(6)尊敬・感謝


 となっている(東京学芸大学ホームページ,表現の仕方は大学により相違がある)。


 しかし,自分自身のことや他人とのかかわりを考えた時に真っ先に考慮しなければならないことは,それぞれが尊厳ある個として人権の享有主体であるということだろう。上記の内容は,それなくしてああしろこうしろと言われているだけのような印象だ。


 強い意志を持った個性ある自分は,自分が個人として尊重されるべき存在だという自覚があって初めて生まれるものだ。強い意志を持てと言われて持つようなものではない。個性ある自分は,何か趣味特技を見つければ生まれるものでもない。他者に対する礼儀や尊敬などは,他者の尊厳に思いをいたしてこそ心からのものになる。


また,主として集団や社会とのかかわりに関することという項目では,法の順守や公徳心等々,中学では
10もの内容が挙げられるが,組織を変えて行くことや不正を正すこと,異を唱えることなどは含まれていない。こんな道徳では,より良い社会を建設する気概ある人材を育てる役には立つまい。

 
 人が人であるがゆえに尊厳ある個人として尊重されるべきだという人権思想は
200年以上前に登場した思想だが,今なおその内容を豊かにし続けている。それは,この思想を受け継いだ者たちが「人が個として尊重されるとはどういうことなのか」という問いを常に発し続けて来たから,そして今も発し続けているからだ。

 
そしてこの人権思想は,現代社会では世界標準の道徳律の一部をなしていると言って良い。グローバル化に対応する教育を言うのであれば,語学教育もさることながら,憲法に象徴される人権思想をきちんと根付かせることが肝要であろう。

 道徳という教科も個の尊厳と基本的人権の尊重という憲法理念を軸に構成されるべきである。

 

 

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