触らない痴漢
1.「触らない痴漢」なるものが話題になっています。
(http://news.livedoor.com/article/detail/14536541/)
記事は「女性のにおいを嗅いだだけで痴漢」と不安感を煽っています。
また、痴漢事件に詳しい弁護士の見解として、迷惑防止条例の解釈次第では、「満員電車で顔が近づいただけ、電車で後ろに立っただけでも、女性から感じが悪いと主張されれば、検挙される可能性があります」とのコメントを紹介しています。
他にも、「『匂いを嗅いだかどうか』や『いやらしい目で見たかどうか』が裁判の争点になった場合、お互いにどう立証することになるのか」について、「女性側は『匂いを嗅がれた』という主張だけで戦えるでしょうが、男性側は『嗅いでいない』ということを立証しなければならず、至難の業だと思います。」との弁護士のコメントを紹介しています。
ただ、ここまで言うのは、やや過剰反応であるように思われます。
記事の執筆者が弁護士のコメントを正確に紹介しているのかには疑問もありますが、別の意見を持つ弁護士もいることをご紹介させて頂きます。
2.東京都迷惑防止条例で、規制対象になるのは、「人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為」であって「卑わいな言動」に該当する行為です(迷惑防止条例の内容は概ねどの自治体も似たようなものです)。
北海道の迷惑防止条例の解釈に関して、最高裁は「卑わいな言動」を「社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな言語又は動作をいう」と定義しています(最三小判平20.11.10刑集62-10-2853参照)。
いくら「女性から感じが悪いと主張」されたとしても、事実関係が真に「満員電車で顔が近づいただけ」「電車で後ろに立っただけ」なのであれば、それが「社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな…動作」に該当するというのは解釈論として相当に無理があります。
解釈次第で「満員電車で顔が近づいただけ」「電車で後ろに立っただけ」でも検挙されるというのはミスリーディングだと思います。仮に検挙されることがあったとすれば、それは単に「満員電車で顔が近づいただけ」「電車で後ろに立っただけ」ではなく、不審な動きをしながら女性の体を犬のようにクンクンと嗅ぎまわるなど、何らかの付加的な事情があるからだと思います。
3.また、犯罪の立証責任を負っているのは検察官です。
男性側で「『嗅いでいない』ということを立証しなければなら」ないことはありません。ただ呼吸をしていただけであれば、そう言えばよいだけです。問題は、検察官が、「ただ呼吸をしていたただけ」という男性側の弁解を排斥できるような証拠を提示できるかどうかの一点だけです。「ただ呼吸をしていただけ。」である可能性が排除されなければ、普通は起訴されませんし、起訴されても有罪になることはありません。そういう意味では、男性側が無茶な立証を強いられることはありません。
検察側、女性側にしても「匂いを嗅がれた」という主張だけでは戦うことは無理だと思います。「卑わいな言動」にあたるというためには、「社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな…動作」がなされたと言える必要があるからです。単なる呼吸とは外形的に区別可能な形で「下品でみだらな」嗅ぎ方(動作)がされたことが具体的かつ詳細に供述できなければ、そもそも起訴には至らないでしょうし、起訴されても公判を維持することも凡そ無理だと思います。「いやらしい目で見たかどうか」に至っては、匂いを嗅いだか以上に動作の立証が難しく、実務的な感覚として、そういう争点設定がされる事案は相当限定されてくるのではないかと思います。
4.単に「匂いを嗅がれた」「いやらしい目で見られた」といった抽象的な供述だけで真実「満員電車で顔が近づいただけ」「電車で後ろに立っただけ」でしかない人が検挙されることは、考えづらいと思います。刑事司法の実務は、もっと緻密に運用されているというのが私の実感です。
万一、事件に巻き込まれたとしても、近時では否認していても裁判所が勾留を認めない事案が増えており、昔に比べれば痴漢冤罪を争いやすい環境も整ってきつつあります。
「触らない痴漢」なるものに過剰に怯える必要はないと思います。
(弁護士 師子角 允彬)
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