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2017年5月 3日 (水)

憲法記念日に思うこと

憲法記念日に思うこと

 

 日本国憲法が施行されて満70年を迎えた。基本的人権の尊重を軸に国民主権と平和主義を高らかに謳うわが憲法は,今なおわが国が進むべき道を示し続けていると思う。

 またそれだけに,安易で粗野な憲法改正の議論には反対である。未来永劫いかなる改正にも反対と言っているわけではない。しかし今日の改正議論は,与党の改正憲法草案などを見てもわかるとおり,安易で粗野だと言いたい。

 

 改正の根拠の1つに「押しつけ」憲法論がある。しかし「押しつけ」論には無理がある。私がそう考える最大の論拠は,「押し付けられた」とされる際の,すなわち昭和21年2月13日外務大臣官邸でのホイットニーGHQ民生局長と松本丞治国務大臣,吉田茂外務大臣の会談でホイットニーが述べた「脅し文句」の内容だ。その「脅し文句」は,「日本国政府が政府案に拘泥するならマッカーサーはマッカーサー草案か政府案かを国民に選択させるつもりだ」というものであった。

原文は次の通り。誤読を避けるためにフレーズ全部を紹介する。

General MacArthur feels that this is the last opportunity for the conservative group, considered by many to be reactionary, to remain in power; that this can only be done by a sharp swing to the left; and that if you accept this Constitution you can be sure that the Supreme Commander will support your position. 

I cannot emphasize too strongly that the acceptance of the draft Constitution is your only hope of survival, and that the Supreme Commander is determined that the people of Japan shall be free to choose between this Constitution and any form of Constitution which does not embody these principles.

http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/077/077tx.html

 この件についてはいつも言うのだが,「直接国民に選ばせるぞ」と言われて「脅された」と感じるのは当の国民ではない。時の政府が,自身が作成した政府案の方が国民の支持を得られると考えたなら,「望むところだ」と答えればいい。そうしなかったのは,政府自身が,国民はマッカーサー草案を支持するに違いないと考えていたからであろう。そんなことになったらとんだ恥さらし,国民の支持も失うだろう。だから,マッカーサーはホイットニーを通じて,この草案受諾を「last opportunity for the conservative group」といい,「if you accept this Constitution you can be sure that the Supreme Commander will support your position.」言っているのである。

 

 押し付けられた者がいるとしたら,「the conservative group(保守派)」であろうが,「Supreme Commander will support your position.」と地位を保証してもらっておきながら後になって「押し付けられた」などと言い出すのは,私から見ればむしろ卑怯な態度だ。

 そもそもわずか1年前に,若者たちに「国のために死ね」と言っていた者たちの中に1人でも,命を賭してマッカーサー草案に反対した者がいたか。そのような主張をしてGHQと断固闘って投獄されたり獄死したりした者がいたか。

 私は半世紀以上も経って,証人のほとんどが息絶えてから,「抵抗できなかった」「押し付けられた」などと言い出す者を,到底信じることができない。

 

 別の根拠に,70年も変わらないのでは時代にそぐわなくなっているだろう,というものがある。しかし私たちは部屋の模様替えをするわけではない。問題にすべきはその理念を変更したり何かを加えたりする必要があるか,ということである。私は,今のところその必要はないと考えている。なぜならわが憲法の基本原理である基本的人権の尊重が,理念のレベルで未だに国民に根付いていないと思うからだ。

 

 改正論者の中にしばしばみられる議論に,憲法のせいで権利ばかり主張する者が増えてきた,というものがある。どうも,自分勝手な人々やわがままな消費者が生まれたのは憲法のせいだと言わんばかりである。けれども,法律を真面目に学んだ者の中では自明のことだが,人権は,基本的には国家や公権力類似のものに対する権利であるし,それゆえに他者の人権を侵さぬ限り最大限尊重されるべきものである。人権について正しく理解していれば,自身の人権を主張するがゆえに他者の人権をないがしろにしていいという考えには至らないはずなのであって,むしろ「行き過ぎた人権意識」などと言う者の方が人権について正しい理解をしていないのではないかと思われる。人権とは,ものすごく大雑把に言えば,国や公的機関から個人の自由を脅かされないことと,人にふさわしい最低限の生活を営むことが可能な援助を国や公的機関から受けることができることからなる。単なる自分勝手やわがままと基本的人権に由来する権利主張とは明確に異なるのである。

 また,10年ほど前にベストセラーになった,数学者が書いた新書に,「憲法には人は平等だと書かれているが,実際には不平等ではないか」という趣旨で憲法を批判している部分があり,呆れたことがあった。現実に不平等が存するからこそ,人の価値は本質において平等なのだと宣言する必要があるのだ。そして,その尊厳において平等に扱われるべきことが謳われているのだ。それをわからぬ者が大勢いるうちは,まだまだ憲法の理念が十分に国民に共有されているとは言えないと思う。

 

 そういうわけで,残念ながら,国民も政府も,未だ憲法が要求するレベルの人権感覚を身に着けるに至っていないというのが私の今の認識だ。憲法を改正するなど,まだ何十年も早い,というのが今の私が思うことだ。
                               (櫻井光政)

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