労働者の罹患情報を取り扱うことの適法性-HIV感染症に関する判例を読んで
平成26年8月8日に福岡地裁久留米支部で珍しい判決が言い渡されました。
HIV感染症に罹患した看護師に対し、本人の同意なく入手した罹患情報に基づいて勤務を休むように指示したことが違法であるとして、病院に対して100万円の慰謝料の支払が命じられました。この金額は訴訟提起後に和解金100万円が支払われていることを考慮したもので、裁判所が相当と認めた慰謝料は200万円にも及びます。
掲載誌の評釈(判時2239-88)でも指摘されていますが、訴訟提起すると罹患情報が明らかになることが懸念されるため、この種の問題には司法判断を受けにくいという特性があります。そうした観点から、本判決には先例として重要な意味があるように思われます。
職場におけるHIV問題に関しては厚生労働省からガイドラインが出されていました(基発第75号 平成7年2月20日「職場におけるエイズ問題に関するガイドラインについて」(平成22年4月30日改正))。
ガイドラインでは、
「労働者に対してHIV検査を行わないこと」(2-(3))
「労働者の採用選考を行うに当たって、HIV検査を行わないこと」(2-(4))
「HIV感染の有無に関する労働者の健康情報については、その秘密の保持を徹底すること(2-(6))
「HIVに感染していても健康状態が良好である労働者については、その処遇において他の健康な労働者と同様に扱うこと」(2-(7))
「HIVに感染していることそれ自体によって、…病者の就業禁止に該当することはないこと」
などが規定されています
(http://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen/hor/hombun/hor1-36/hor1-36-1-1-0.htm)。
医療法人と看護師という関係の特殊性を考えると別異の解釈も有り得たのかも知れませんが、裁判所はガイドラインの趣旨を尊重する姿勢を貫きました。
今回はHIVが問題になりましたが、職場で取り扱うことが問題になり得る労働者の疾患はHIVに限ったことではないと思われます。
例えば、最近ではうつ病などの精神疾患を抱えたまま求職・就労活動に従事する方がそれほど珍しくありません。そうした方の疾患に関するプライバシーを職場としてどこまで尊重しなければならないかは困難な問題だと思います。疾患に関する情報を適切に把握しなければ雇用上のきめ細やかな配慮や顧客に対する適切なサービスが提供できない反面、必要以上に私的な領域に踏み込んで欲しくないとする労働者の思いも法律上十分に尊重されなければならないからです。
この点に関しても厚生労働省は「プライバシーに配慮した障害者の把握・確認ガイドライン」等の文書を作成して一定の調和点を示しています
(http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/shougaisha02/)。
ただ、このガイドラインに違反するような措置が行われた場合、裁判所でどのような判断がなされるかについて確立された見解はないように思われます。
HIVに関しては非常に特殊な例だとは思いますが、職場が労働者の持つ疾患に踏み込んで問題になる紛争は今後増えて行くのではないかと思われます。特に精神疾患に関しては、他者に感染する類の疾病ではないこと・疾患を有していることへの偏見が改善傾向にあることから訴訟提起により事実が明らかになることへの抵抗もHIVに比べれば少ないと考えられ、権利意識の高まりとともに司法判断を受ける事案も多くなることが見込まれます。
理想を言えば、紛争に至る前に厚生労働省のガイドライン等を参考にしながら使用者・労働者のいずれもが納得できるルールを導入し、深刻な事態は未然に防ぎたいところです。事後的な紛争の解決のみならず、紛争の予防も弁護士の重要な業務の一つです。労働者の健康に関するプライバシーと業務上の必要性との調整にお悩みの企業様には、ぜひ一言お声掛けください。お役に立つことができれば嬉しく思います。
(師子角允彬)
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