死刑に反対
6月26日,大阪拘置所において1名の死刑囚の死刑が執行されました。私は,安倍内閣発足後9人目となる今回の死刑執行に抗議の意を表明します。
私が死刑執行に反対するのは,死刑囚が犯した罪の大きさを弁えていないからでもありませんし,死刑囚に同情を寄せているからでもありません。現代国家の刑罰,それも最高刑が,単純に憎悪を叩きつけるような刑罰であってはならないと考えるからです。
かつてハムラビ法典は「目には目」「歯には歯」という応報刑を定めました。しかしそれらは歴史が進む中で野蛮で残忍な行為として否定され,「命には命」という死刑だけが最後まで残りました。そしてそれも,ヨーロッパの先進国では非人道的な刑罰だとして否定されるに至りました。
確かに刑罰の主要な目的に応報がありますが,それは専ら身体を拘束して自由を奪うことによって実現されるべきだと考えられるようになりました。そして今日の刑罰は,受刑者の改善更生に重きを置かれるようになりました。まだまだ十分とは言えませんが,刑務所などの矯正施設も様々な取組をするようになって来ています。
これまで様々な点で範としてきた国々がこぞって捨て去り,しかも我が国に対しても捨てるように求めている制度を維持するには相応の理由が必要だと思いますが,死刑に関してそのような理由があるとは私は思いません。
被害者の感情に対する配慮を理由にする存置論があります。被害者の中には,せめて犯人を死刑にしてほしいと思う方がいるのは承知していますし,当事者であればそのような気持ちになることも当然だろうと思います。実際,私自身,残忍な犯罪などに接するとそのような行為をした犯人などは「こんな奴は死んだ方がいい」と思うことがよくあります。ただ,そのことと国家が正義の名のもとに死刑を執行するのは全く別のことだと思っています。仇討ちや私刑を許さず,国家が刑罰権を独占するということは,そもそも犯罪者を被害者や群衆の手に委ねないということだからです。
また法は,現実にも遺族の意向だけを考えているわけではありません。例えば薬物を吸引して自動車を運転して人を死傷させた事件が立て続けに起きています。犯人はとんでもない大ばか者です。その被害に遭われたご遺族の無念さと,強盗殺人事件の被害に遭われたご遺族の無念さとでは何の変わりもないでしょう。それでも法は,無謀な運転で人をはねて死なせた被告人を死刑にすることはありません。ならば強盗殺人犯も,必ず死刑にしなければ遺族を軽視しているのだということにはならないように思います。
犯罪被害者に対しては,十分な経済的保障と,精神面でのケアを行う体制を作ることで報いるべきです。それをせぬまま,ご遺族に憎悪の炎を燃やし続けさせることはそれ自体ご遺族にとっても苦しいことだと思います。そして,犯人を死刑にして殺しさえすれば国の役割は終了。国はやるべきことはやりました,という態度は,実は極めて安上がりな被害者対策であり,被害者に対する支援としては極めて不十分なものだと思います。被害者支援を,死刑でごまかすな,と言いたいです。
21世紀の日本は,どんな凶悪犯罪者であっても,英知を結集した教育の力でじっくりと時間を掛ければきっと改善更生させることができる,そういう行刑,矯正を誇ることができる国でありたいと思います。
(櫻井光政)
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