精神発達遅滞の被告人への無罪判決が示唆すること
平成25年8月30日、京都地方裁判所で重度精神発達遅滞(田中ビネー知能検査ⅤでIQ25)の被告人に対して無罪判決が言い渡されました(判例時報2204-142)。
精神発達遅滞とは要するに知的障害のことです。侮蔑的な意味が含まれるとして現在はあまり好まれる表現になっていませんが、「知恵遅れ」などと言われることもあります。
被告人は普通乗用自動車1台を盗んだとして常習累犯窃盗罪で起訴されていました。常習累犯窃盗罪という言葉は法律家以外の方にとって馴染みのない犯罪だと思いますが、簡単に言えば過去10年以内に窃盗で3回以上服役した人が更に盗みを働いたときに成立する犯罪です(盗犯等ノ防止処分ニ関スル法律3条参照)。
この件でも自動車を盗んだとされているのは平成24年9月27日ですが、被告人は平成15年ころから既に3回も窃盗罪で服役していました。
重度精神発達遅滞の事例は心神喪失を理由に不起訴となる例が多く、起訴された後に裁判で心身喪失と認定される例は極めて稀です。本判決は重度精神発達遅滞の場合につき責任能力を否定した数少ない判例として実務上注目を集めました。
この判決は、事例として珍しいだけではなく、二つの点で重要な示唆を含んでいると考えています。
一つ目は知的能力に問題のある被告人の表面的な言葉に惑わされてはならないという点です。
最初に述べたとおり、常習累犯窃盗という犯罪は簡単に成立する犯罪ではありません。過去に少なくとも3回は刑事裁判を受けているはずです。何度となく機会がありながら被告人の責任能力は適切に評価されてきませんでした。
被告人の責任能力を見抜けなかった理由の一つには、被告人が捕まる度に謝罪や反省の弁を述べていたことがあるようです。こうした言葉が述べられると「悪いことだと認識できているのだから責任能力を問うことに支障はないはずだ。」という発想に陥りがちです。
しかし、本件の被告人は「車を盗むのはいいことかわるいことか」という問いかけに対して「悪いこと」と答えはするものの、「なにがどう悪いの」と問いかけても応答できていませんでした。盗みが悪いことだという漠然とした認識はあったとしても、なぜそれをしてはいけないのかが全く理解されていなかったのです。
従前の裁判が被告人の更生に寄与できなかったのは、法曹関係者がこの点を看過していたからだと思われます。誰かがおかしいと思って責任能力の有無を慎重に調べていれば、裁判はより意味のあるものになっていたはずです。
二つ目は司法と福祉とが適切に連携していれば、過去に罪を重ねた知的障害者であっても、罪を犯すことなく社会生活を営むことができるという点です。
この被告人は窃盗だけではなく強制わいせつ(未遂)での前科も有しています。しかし、強制わいせつでの再犯は窃盗での再犯とは異なりきちんと自制できていました。
判決文を読むと、この差が生じた理由が、福祉による支援が得られていたかどうかにあることが分かります。
被告人は平成23年2月に刑務所を出た後、京都市東部障碍者地域生活支援センターの介護福祉士から支援を受けていました。この介護福祉士は強制わいせつ未遂での前科等を考慮し、再犯を起こさせないように留意しながら被告人を支援してきました。結果、被告人は強制わいせつが悪いことをある程度理解し、自制できるようになりました。
このことは窃盗の場合について尋ねられた時の受け答えとの対比から読み取ることができます。強制わいせつについては「いいことか悪いことか。」という問いかけに対して「悪いこと。」と答えた後、「どうして悪いことなの。」という問いかけに対して「かわいそうやからや。」と応じることができています。
しかし、この介護福祉士は被告人の生活範囲に鍵を付けたままの自動車が多くあるということを認識しておらず、自動車盗は十分に警戒していませんでした。
結果、自動車盗と強制わいせつとで、被告人の悪いことの認識や理解度には差がつくことになりました。そのことは被告人による本件犯行を許すことへと繋がりました。
ただ、ここで私が指摘したいのは介護福祉士の職務の適否ではありません。重要なのはIQ25の重度精神発達遅滞の人であっても、適切なケアさえ受けられていれば、悪いことを悪いと認識した上で、罪を犯すことなく社会生活が営めるということです。この判決は福祉が知的障害者による累犯を阻止する希望となり得ることを示しています。
もっと早く責任能力について適切な評価がなされ、福祉からの支援を受けていれば、被告人の人生は変わっていたかも知れません。犯罪の被害に傷つく人も生まれなかったかも知れません。最初に捕まった時点で、確かな知見を持った弁護人が、被告人に違和感を覚え、鑑定を請求し、十分な申し送り事項とともに被告人を福祉と結びつけていれば、被告人を含め不幸になる人はずっと少なかったと思います。
責任能力が問題となる事件に限らず、知識・経験の十分な弁護人の関与は、裁判を意義のあるものにするために欠かすことができません。
当事務所は刑事弁護に特に力を入れています(http://keiji.sakuragaoka.gr.jp/)
刑事事件に関してお困りの方は、ぜひお気軽にご相談ください。
(師子角允彬)
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