教育委員会改革の方向性に異議あり
今朝、泉佐野市の教育委員会が今年1月、原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を市内の小中学校の図書館から回収していた旨の報道がありました。
この報道に接して一番初めに私が考えたのは、本当に教育委員が協議を重ねた上での決定なのだろうかということでした。というのも、教育委員会の決定とされるものの中には教育委員の審議を経ずになされているものが多いからです。
現に、昨年問題になった明石市教育委員会の「はだしのゲン」の閲覧制限は、教育長が委員会に諮らずに行ったものでした。同市教育委員会は、後にこの点が手続きの適正を欠いたとして決定を取り消し、改めての閲覧制限はしませんでした。このような前例があることから、今回も同様に、教育長の暴走ではないかと疑ったのです。
そこで泉佐野市の教育委員会に電話して事実の確認をしました。結果は案じた通り、教育委員会の審議や議決を経たものではないとのことでした。教育長が独断で回収を指示したのです。
どうしてこんなことが起きるのか、教育委員会の決定とは何なのか。一般の人にはなかなかわかりにくい話なので、少し説明します。
下の図は文科省のホームページから転載した教育委員会組織のイメージ図です。大きな四角で囲まれているのがいわゆる教育委員会、広義の教育委員会です。この大きな四角の中の上の方に委員長以下の委員が並んでいて、これまた小さな四角で囲まれています。これが委員による委員会、狭義の教育委員会です。そしてこの狭義の教育委員会の長が教育委員長、そして教育委員の中から選ばれる教育長が教育の事務全般を掌握します。教育長が教育委員の中から選ばれる、と言いましたが、この人選は最初から事実上決まっています。というのも、教育長のみが自治体の常勤職員(比較的多くは校長経験ある教員、他は生え抜きの自治体職員)で、他の委員は非常勤の各界有識者だからです。
そのような仕組みの下、教科書選定など主だった重要事項は狭義の委員会が決定し、日常の事務は教育長以下の事務局が決定しています。そしていずれの決定も「教育委員会」の決定とされるわけです。
そこでしばしば問題になるのが、今回のように、教育長がことの重要性に気付かず、あるいは故意に無視して、委員会に諮らないで決定をしてしまうケースです。明石の「はだしのゲン」閲覧制限もそうでしたし、一昨年の大津のいじめ自殺事件についての同市教育委員会の初期の対応も教育長が独断で行ったものでした。
教育長の判断に信用が置けないというつもりはありませんが、有識者を交えた合議を行えば、より慎重な結論を出すことができたのではないかと思います。今回の泉佐野市の例では市長の強い意向が働いたとのことです。確かに、収入の全部を市に依存している教育長では市長に異を唱えることは難しいでしょう。しかし外部の教育委員も交えて審議をすれば、市長の意に反する結論を出すことも可能だったと思われます。
同市教育委員会は、市内の校長の抗議などを受け、いったん回収した「はだしのゲン」を各校に返還するようですが、その後の対応も注視する必要があります。
なお、このような事態を見るにつけ、この3月13日に発表された「教育委員会制度の改革に関する与党合意」は改革の方向性に疑問があると言わざるを得ません。合意は次のようにいいます。
教育長と教育委員長を一本化した新たな責任者(新「教育長」)を置くこととし、首長が議会の同意を得て任命・罷免する。「教育委員長=教育長」とすることで、新「教育長」が、迅速かつ的確に、教育委員会の会議の開催や審議すべき事項を判断できるようにする。
しかしこれではますます今回のように教育長が暴走しやすくなるのではないでしょうか。この教育委員会制度改革の方向性には大いに異議があります。
(櫻井光政)
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