死刑執行に抗議する
9月12日,死刑確定者1名に対し,死刑が執行されました。谷垣法務大臣の,3度目,6人目の執行です。9月20日までに,日弁連のほか10の弁護士会が死刑執行に抗議する会長声明を発表しています。
私もまた,死刑の執行に抗議するものです。
死刑が定められているのは刑法です。そしてわが国の刑法が定められたのは明治40年,1907年のこと。制定されて100年以上も経っています。当時は,わが国では「人権」という概念がまだ公認されていない時代です。いえ,例えば基本的人権の擁護を国家の理念としている欧米でも女性参政権などはほとんど認められていない時代でした。そのような時代に,刑罰としての死刑が容認されたことは,人間の理性や科学の限界を考えればやむを得ないことだったと思います。
しかし,この100年の間に人間の理性は一層深化し,科学も発展しました。基本的人権についての思想もより深く豊かに発展させられて来ました。前世紀末期から今世紀に至るまで,西欧を中心に相次いで死刑制度が廃止されてきたのも,人権思想の深化など,人智の高まりによるものだと私は思います。
私は,21世紀の人類は,「いかなる理由によっても殺してはならない」ということを原則として掲げなければならないと考えています。大義名分のためであっても,正義の名をもってしても人を殺してはならないという命題を打ち立ててこそ,殺人を抑止することができると考えます。
ご遺族に我慢を強いるのかというご意見があります。しかし,その意味では,傷害致死や危険運転致死などのご遺族は現に我慢をなさっています。私は,殺人のご遺族と,傷害致死のご遺族の間の無念さに変わりはないと思いますし,加害者に対する憎しみも変わらないと思いますが,傷害致死や危険運転致死には死刑はありません。そうであれば,殺人事件のご遺族のお気持ち,それも必ずしも全てのご遺族の意向とは限らぬお気持ちを忖度して死刑を存置するというのはあまり説得力がないように思います。
それよりも,犯罪被害者の支援は,仇討ち的な死刑の存続で済ませるのではなく,物理的,経済的支援がなされるべきだと思います。ご遺族が癒されないのは,経済的困窮を放置され,精神的苦痛を和らげるための人的支援もなく,しばしば好奇の目にさらされながら,苦しみをひとり抱え続けて行かなければならないからだと思うからです。
国は速やかに死刑を廃止すべきですし,然るべき手続きの間,死刑の執行は停止すべきです。ここに,今回の死刑執行に抗議するとともに,改めて,死刑の廃止を強く求めます。
(櫻井光政)
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