退職後の元勤務先との競業
従業員が勤務先で培った知識・技術・経験をもとに独立することは良く聞かれます。この時、顧客を奪われることを阻止しようとする勤務先から、競合する事業を行わないことを内容とする誓約書の差し入れを求められる場合があります。退職時に揉めるのが面倒で安易に誓約書や合意書の作成に応じてしまい、後々問題になるケースが後を絶ちません。
元職場との競業に関する紛争を避けるために一番良いのは、そもそもこうした誓約書や合意書の作成に応じないことです。労働者には職業選択の自由があります。したがって、よほど背信性の高いやり方をした場合を除けば、特別な合意を結ばない限り競業したからといって法的な責任を問われることはありません。
問題は競業しないことを内容とする誓約書や合意書の作成に応じてしまった場合です。近時、辞められない会社という紛争類型が増加していることもあり、
(http://sakuragaoka-lo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-2d90.html)
勤務先からの嫌がらせを怖れて当面の対応として誓約書や合意書の作成に応じてしまう方もいるようです。
こうした誓約書や合意書を差し入れてしまった場合、競業することは一切できなくなるのでしょうか? 競業したことを把握した勤務先から損害賠償を求められた場合、無条件に応じなければならないのでしょうか?
結論から申しますと、必ずしもそのようなことはありません。
先ず、自由意思に基づいていない場合、幾ら競業禁止を合意したとしても、そのような合意は無効になります。
例えば、大阪地方裁判所判決平成12年9月22日労働判例794号は、同業他社への転職を疑われるなかで勤務先代表者らから個別に呼び出され退職理由等を追及された上、あらかじめ文面の用意されていた書面に署名するという方法で提出させられた誓約書の有効性について、「提出を拒絶しがたい状況の中で、意思に反して作成提出させられたもの」であることを根拠の一つとして合意の効力を否定しました。
また、誓約書や合意書への署名を拒絶し難い状況がなかったとしても、必要かつ合理的な範囲を逸脱した合意には効力が認められません。
営業秘密、特殊技術、顧客などを確保するにあたり、他の手段がある場合には必要性が否定されます。例えば、浦和地方裁判所決定平成9年1月27日判例時報1618号は「退職後の従業員による競業を厳しく禁止すること以外の方法で守ることの困難な正当な利益が存在したことは、本件全証拠を検討しても認めることができない」と判示して、競業禁止の合意の効力を否定しました。また、裁判例の全体的な傾向としては、業務・期間・地域の限定のないものほど必要性・合理性が厳しく問われています。
代償措置がない場合にも競業禁止の合意の有効性は認められにくい傾向にあります。代償措置とは、簡単に言えば、競業を禁止する代わりに多額の株式や高額の退職金が付与することなどをいいます。もともと競業の禁止を織り込んで高額な年収が合意されていた場合も該当することがあります。代償措置がなかったり不十分であったりすることを理由に競業禁止の合意を無効だと判断した裁判例は相当数に上ります(東京地方裁判所決定平成7年10月16日労働判例690号75頁、福岡地方裁判所判決平成19年10月5日判例タイムズ1269巻197頁等参照)。
特に、東京地方裁判所決定平成7年10月16日労働判例902号は、「競業避止義務を合意により創出する場合には、労働者は、もともとそのような義務がないにもかかわらず、専ら使用者の利益確保のために特約により退職後の競業避止義務を負担するのであるから、使用者が確保しようとする利益に照らし、競業行為の禁止の内容が必要最小限度にとどまっており、かつ、十分な代償措置を執っていることを要するものと考えられる」と代償措置について競業禁止を定める契約を有効と解する要件として位置付けた事例として重要な意味を持っています。
退職を妨害してくる会社を辞めて独立するにあたり、やむにやまれず誓約書や合意書を提出してしまったからといって、必ずしも元勤務先からの要求に従わなければならないわけではありません。差止めや損害賠償を請求されている方はぜひ一度相談にいらしてください。
ただ、競業禁止の合意は有効と判断された裁判例も相当数出されています。誓約書や合意書を提出するか迷われている方には、慎重な判断をお勧めします。どんなに面倒くさくても、不本意な合意は結ばないのが一番です。なお、当事務所では退職するにあたっての会社との交渉を代理させて頂くこともできます。併せてご検討頂けると幸甚です。
(師子角允彬)
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