去る4月16日,最高裁第三小法廷は水俣病認定申請棄却処分を争う訴訟で画期的な判決を下しました。
チッソ水俣工場からの排水に含まれるメチル水銀が水俣病の原因であることは昭和43年には政府も認めるところになり,同44年には救済法も制定されました。救済法は昭和48年に制定された公害健康被害補償法(公健法)に引継がれ今日に至っています。そして公健法は,知事が公害健康被害認定審査会の意見を聴いて行うと規定しています。
他方国は公健法における水俣病の認定にかかる所管行政庁の運用の指針として昭和46年,昭和52年及び昭和53年に通知を発出しました。その中で昭和52年に発出された環境庁企画調整局環境保健部長通知は水俣病の判断条件として複数の症状を呈する4つのパターンについて,「通常その兆候は水俣病の範囲に含めて考えられる」ものとしました。また,53年発出の環境事務次官通知は,今後は52年の通知で示された判断条件(52年判断条件)に則り申請者の全症候について水俣病の範囲に含まれるかどうかを総合的に検討し判断するものとしました。
その結果,単一の症状しか呈さない患者は結果的に切り捨てられることになりました。今回提訴した水俣病患者の方はそうして切り捨てられた2名の患者でした。
いずれも水俣病の認定を受けられず裁判に臨みました。1人は勝訴(福岡高裁),1人は敗訴(大阪高裁)で最高裁の判断を仰ぐことになりました。
今回の判決は,要旨次のような理由で患者に勝訴の判決を下しました。
裁判所の審理及び判断は,行政庁の判断条件に不合理があるか否かとか,認定審査会の調査審議・判断に誤りがあってこれに依拠して行政処分を行った行政庁の判断に不合理があったか否かという観点からではなく,裁判所が関係証拠を総合的に検討し,症状と原因物質との間の個別的な因果関係の存在を審理の対象として,申請者について水俣病のり患の有無を個別具体的に判断すべきものと解するのが相当である。
52年判断基準は多くの申請について迅速かつ適切な判断を行うための基準を示したもので,その限度で合理性があるが,この基準を満たさないものを排除するものとは言えない。
水俣病に罹患しているか否かの判断は事実認定に属するもので,行政庁の裁量に委ねられるべきものではない。
患者を迅速に救済するための簡易な基準が絶対視され,この基準に達しない患者が何十年も切り捨てられてきたことには憤りを禁じ得ません。最高裁まで争った2人の患者は既に故人となっていますが,訴訟に踏み切った勇気とそれを引き継いだ遺族の方々の献身並びに代理人となった弁護士たちの奮闘には心から敬意を表したいと思います。
(櫻井光政)
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