裁判所に対する敬意
最近、裁判所に行って思うこと、なんだか弁護士のマナーがなっていない。
例えば、バタンと大きなドアの音を立てて法廷にずかずかと入って来て、ドンと大きな鞄を机に置いて、周りに目を配るでもなく、しばらくたってから、相手の弁護士の顔を盗み見る。同業者なんだから、会釈ぐらいしようよ。
裁判官が入って来たときは、さすがに立ってお辞儀をするけれど、そのお辞儀は中腰で、きちんと立たない。途中の問答は座ったまま、うーん、裁判官と話しをするときは、きちんと立とうよ。今の研修所では教えないのかな、
それとも、単に今時の若い人に有りがちな「挨拶しない」という風潮が、法曹界にも押し寄せて来ているというだけなのかな? それに目くじらを立てる私は、単なる年寄り?
でも、でも、です。 私には裁判所に対する敬意の無さが態度に表れているとしか見えない。心の中に裁判所に対する敬意を持っていたら、それは自ずと態度に表れるはず。
何をいう、今の裁判所に対して、尊敬なんかできるか、裁判官なんて敵だと思う人もいるかも知れない。
たしかに、一部に分からず屋の裁判官もいれば、何をそんなに威張っているのと思う裁判官も居ないわけではない。
ただ、この日本国の公正、正義を守る最後の砦は、司法なんです、裁判所なんです。日本が法治国家であるための大事な役割を担っているのが裁判所なんです。裁判所に対する信頼なくして、この国の秩序は成り立たないといっても過言ではありません。
裁判所に権威を持たせるのは、国民の信頼です。私たち弁護士は裁判所が権威を保つための役割の一端を担っているのだから、ときには、裁判所の誤りを正すことも有っていい、それによって、結果として、その権威をきちんと支えてこそ、私たち弁護士の仕事が意味を持ってくるのだと思うのだけど、違うのかな。
(神山昌子)
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