思想家・武道家で知られる内田樹さんが「裁判員制度の『成功』について」と題するブログを掲載されていることをツイッターで知りました。その中で,「この制度がどういう歴史的文脈の中で策定されたものなのか,本当のところ一体何を実現しようとしているのかそこがよくわからない」という発表がゼミでなされたことを紹介し,「これだけのコスト」に見合う成果なのかと疑問を投げかけておられます。
内田さんがこのような疑問を持たれるのであれば,一般の方も同様でしょう。そこで,ゼミの発表者の方が疑問に思われた点にお答えしたいと思いました。それは,平成13年から7年間,日弁連の司法改革調査室の嘱託弁護士として司法改革に携わってきた私の義務でもあると思うからです。
昭和60年,刑事法の大家であった平野竜一元東大教授は,調書偏重の実態を指して,「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」と書きました。その状況はそれ以降も厳しさを増していました。何しろ起訴前に弁護人が就くことはまだまだ少なかった時代,警察検察は取りたい調書を取っていました。被告人が公判で自白の強要を訴えても容れられることはなく,弁護人が法廷で敵性証人の供述を覆しても,調書の方が採用されました。刑事弁護人の中には,捜査をチェックする意欲も能力もない裁判所に対する憤りが渦巻いていました。
そうした弁護人の中に,四宮啓弁護士を中心とする,陪審制の実現を目指すグループがありました。司法改革の議論の中で,日弁連の議論をリードし,政府が当初の予定に入れていなかった陪審の必要性を審議会に認めさせたのは四宮弁護士たちの活動の成果でした。
陪審の導入に際しては,当初,裁判所も検察庁も強い抵抗を示しました。それまでの刑事裁判に何ら問題がないとの立場に立てば当然のことです。しかし,私たち弁護士にとっては,裁判を国民に監視してもらうことで,裁判の公正性,中立性を確保したいという切実な思いがありました。そうして,裁判員裁判が実現することになりました。
とはいえ,裁判所も検察庁も,これまでの裁判で不都合があったとは言えません。実際にそう思っていなかったことでしょう。官の側がこの改革を取り入れる理由として,「国民に身近な司法の実現」程度しか言えなかったのはそういう理由からです。ですが,私たち弁護士の側からは,公正な裁判の実現のために,裁判員裁判の導入が必要だったのです。
実際,裁判員裁判の導入に向けて,公判前整理手続の制度が設けられ,検察が手持ちの証拠を隠すことがしづらくなりました。例えば東京電力OL殺人事件の第1審当時に裁判員裁判とそのための公判前整理手続が実現していれば,被害者の体内の体液や身体について唾液,爪に残された組織片などの存在は1審当時から明らかになり,1審無罪が覆ることもなかったはずです。
最高裁は,裁判員裁判の実施に当たり,国民の信頼を損なわぬために裁判官に対する種々の研修や研究を行いました。そうした研修・研究の積み重ねを通じて,地裁の裁判長クラスの裁判官を中心に,刑事裁判官の中に,新たな制度を責任を持って担う自覚と自負が生まれました。
刑事裁判を長く扱っている弁護士であれば,この10年で,刑事裁判官の態度がより公平中立になっていること,具体的には検察官にファエな訴訟遂行を求め,自白調書の採用に慎重になっていることなどを実感していると思います。
試みに無罪率を調べてみました。司法統計年報を利用して計算したところでは,平成13年の第1審の無罪率は0.067%,それが裁判員裁判について準備が進んだ平成18年には0.125%,裁判員裁判実施後の平成23年には0.139%になっています。同年の裁判員裁判に限ってみれば0.66%です。
無罪率が高いほど良いとは思いませんが,自白強要に基づく隠れたえん罪が多かったという弁護人の実感からすれば,検察官が作る調書について,裁判所が距離を置くようになったことの表れだと感じられます。そしてそのことは,裁判の公正を確保する上で重要なことだと思います。
以上の実態を踏まえれば,国民に大きな負担をかける裁判員裁判ではありますが,かけたコストに見合う成果は十分に出ていると,私は思うのです。
(櫻井光政)
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