伝えることの難しさ~原発賠償問題に関して~
2012年1月26日、原子力損害賠償紛争解決センターが提示した和解案を東京電力が蹴りました。
原子力損害賠償紛争解決センターとは、原発事故の損害賠償に関する紛争解決のために、政府が2011年9月に設置した紛争解決機関(ADR)です。原発被災者弁護団のひとりとして、ADRへの申立1号事件(9月1日申立)に関わってきました。
詳しくは「原発被災者弁護団」ホームページ(http://ghb-law.net/)に譲りますが少しだけ解説と感想を述べます。
1号事件のセンター和解案(12月27日に提示)は、主に5つの特徴があります。
① 東京電力が頑なに拒んできた避難指示区域内の財物損害(建物不動産を含む)を評価して支払うよう求めたこと
② 原子力損害賠償紛争審査会が出した中間指針で示された慰謝料額は最低限の目安であり、個別事情に応じてそれ以上の額を認め得るとして、実際上回る金額を提示したこと
③ 被害の見通しがつかないことに配慮して、現時点で損害額を確定するのではなく、内払いとして支払うべきとしたこと(清算条項は入れない)
④ 東京電力が既に支払った仮払金は後に清算することとし、今回の和解で控除しないとしたこと
⑤ 弁護士費用として全体損害額の3%を認めたこと
この和解案はこれらを全て呑むか、蹴るか、すなわち○か×かということでセンターから検討を求められたものです。弁護団(申立人)側は議論を尽くした上で提示された慰謝料額や弁護士費用(5%を要求していました)の不満がありつつも○と回答しました。○と回答できた一番の理由は、財物喪失、慰謝料について今後追加請求できる余地を残す内払い(③の部分)とされたからです。実はこの内払いの提案こそ、今回の原発事故被害で被災者を早期に救済する強力な武器であり、また当該和解案の真骨頂ともいえるものでした。
提示された額で納得するか、逆に納得せずに裁判まで提起するかどうかという厳しい選択を迫られることなく、賠償を得られることになるからです。もし清算条項を入れることになれば、未だ避難生活が続き、帰宅できるかどうかも分からない中で、事実上妥協を迫られることになります。特に慰謝料額については、何をもって納得するか、という判断は本当に難しいものです。というか、中間指針で示された慰謝料額は低額すぎて、それをベースにした和解案は法律家から見ても本来納得し難いものです。かろうじて内払いとするからこそ、精算条項を入れないからこそ受諾できるわけです。
しかしながら、東京電力は、センターの仲介委員がこのような事情に配慮し、苦心して(おそらく)編み出したこの和解案を「蹴った」のです。②、③、④について応じられないとしたのです。自ら示す「5つの約束」においてセンターの和解仲介案の尊重を約束していたにも関わらずです。
あえて「蹴った」と繰り返したいのには実は理由があります。
弁護団では東京電力の回答を得て、即記者会見を行うとともに抗議声明を出しました。徹頭徹尾怒りの抗議をしました。
しかし、実際報道された記事を見ると、東京電力が不動産喪失分の損害を認めた(実際には建物分だけ。土地は解決されていない。)ことを強調するもの、東京電力が「全額受諾」したとか「応じるとの回答をした」とするものなどが圧倒的に多く、実際には和解案そのものについては要するに「×」と回答したのだということはほとんど伝えられませんでした。申立人側が何に不満を持っているのかを正確に掲載してくれるところもほぼ皆無です。中には、読み方によっては、申立人側が東京電力の受諾にも関わらずまだ駄々をごねているように受け止められかねないものもありました。
申立人ご本人がどれほどの勇気をもって先陣を切り、また社会的な意義を理解して取材に協力しコメントを発表してくれたかを思うと残念で仕方ありません。
不動産(建物)の喪失を損害として評価されたこと、それを認めたことの意義を否定するつもりはありません。特に避難指示区域の方にとっては大きな一歩であり、生活再建のための希望の光になり得たことは間違いありません。そういう意味では、各報道機関が財物喪失の受諾を大きくとり上げたこと自体はありがたいと思っています。
が、しかし、できればもう一歩踏み込んで、今回の回答の本質的な問題をとりあげて欲しかったのです。
重ねて述べますが、センターの1号事件についての和解案の真骨頂は精算条項を入れずに一部内払いを前提とすることにあります。一見、和解案金額の大半を東京電力が認めたのだとしても、精算条項を入れずに和解するかしないかは天と地ほどの差があります。何よりも今後続くADR案件に及ぼす影響は計り知れません。ADRの存在意義にも関わる問題です。
結果的にこのことを社会に伝えきれなかったのはやはり弁護団の責任でしょうか。マスコミを通じて社会に伝えられなかったことはイコール当事者である被災者にもADRの意義や問題点を理解してもらえなかったことだと思っています。
それがくやしくもあり、情けなくもあり、です。
伝えることは本当に難しい、でもこうやってつぶやきながらも訴え続けるほかありません。ひとりでも多くの人に理解して頂けることを願って。
(亀井)
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