1月5日の仕事始めの日、事務所に届いた大量の年賀状の中から、私が長崎にいた頃に弁護した元被告人からの年賀状を見つけました。
彼(この元被告人)は、私が弁護人についた時点では、本当にどうしようもない人間でした。
初回接見のときには、被疑事実については全面的に認めているものの、反省するどころか、警察官への不満だけをぶちまける有様でした。
幸か不幸か、追起訴が続いて彼との付き合いも長くなりました。
その間、私は足繁く接見に通い、「反省」とはなんなのか、彼と一緒に考えました。
そのうちに彼も変わってきました。まだ歳が若かったこともあって、まるで少年のように成長していくのが手に取るようにわかりました。
彼は自分で、自分がやってしまったことの意味を考えました。被害者の気持ちを、被害者の立場になって考えました。自分が犯行に至った原因について考えました。そして、どうしたら二度と同じ過ちを犯さなくて済むのかということを具体的に考えました。
裁判官がどう感じたのかまではわかりませんが、最終陳述の時点で、少なくとも私の目から見ると、彼は本当に反省していたと思います。
結局、彼は実刑になりました。刑務所に入ってから、お礼の手紙を一通もらいましたが、その後はしばらく音信不通でした。
私は、昨年の9月に長崎から桜丘に戻ることになったので、一度だけ刑務所に行って、彼に会ってきました。
すると、彼はつきものが落ちたように、別人のようなすっきりした顔になっていました。
そして、面会の間中、ただただ私に対して感謝の言葉を述べてくれました。
その後、私が桜丘に復帰して間もなく、仮出所をした彼から事務所に電話をもらいました。
彼は泣きながら「ありがとうございました。これからは一生懸命働いて、今まで迷惑をかけてきた人に償いをします」と言ってくれました。
私は、わざわざ電話をしてきてくれたことに対してお礼を言って、電話を切りました。
それから2か月、彼も「ムショ帰り」ということで、さぞかし厳しい現実に直面したことでしょう。
年賀状の内容はこうでした。
「社会に復帰して、厳しい現実を目の当たりにしています。でも、現実を受け入れて、負けずに頑張ります!」と力強い言葉が書かれていました。
彼がどこまで頑張れるのかは私にはわかりません。きっとくじけるときもあるでしょう。
ただ、その決意を知らせてくれたことを嬉しく思います。
これからも、被疑者・被告人と一緒に、「反省」とは何かという永遠のテーマについて考え続けていこうと思います。
(高木良平)
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